2002.6.3
突然日にちが飛んでしまった
毎日、書くのは大変だ
今日は54歳の誕生日
家族、会社それぞれが、それぞれの形で祝ってくれた
息子の嫁さんが、ゴルフのアイアンのカバー
高校生の息子は、清陵バスケット部のキャプテンになったと・・・
涼子は、東京研修の帰りにおいしいケーキを
妻は、ネクタイを
自分には、とりあえず良くやっていると誉めてやり
息子からはは、もう一人の娘を、プレゼントしてもらったり
などなど、盛りだくさんで嬉しい

そんなわけで、つい65歳まで仕事をしようと考えてしまう愚か者になってしまう
60歳過ぎてからが本当の仕事のできる人間になれる
ただ顔を出すだけで、仕事になる
ひとつの仕事に一筋に生きたからできるのではない
ひとつの能力しかないから、一筋になる
どうせ自分の人生、昨日と違った道に進むのもいいだろう
幾つになっても、勉強し、新しい仕事に挑戦する
ひとつの仕事を全うすることは、イコールそれしか能力がない?
今までの日本では、そんな人が尊敬されてきた
でも、5年一昔の時代に、時の流れに沿い
勉強し、また別の夢を求めて進む・・・・
今の日本人は、それを忘れている
開拓精神旺盛なアメリカに追いつけるはずもない

てなことを考え、今宵もふけていく
それにしても世界の、サッカーはすごい


2002.5.21
ロータリー、台湾よりお客様あり


2002.5.25
結婚披露宴
息子の披露宴を主催(?)できるとは、なんとも嬉しい
もらう側だから特に嬉しい
自分自身が結婚するときは、父も祖父母もすでに他界し母のみの出席だった
でも、今回は、京都の祖父母、私達夫婦親族のすべてが元気で我らが長男
京都においては初孫の結婚の祝いの席にほとんどの親族が出席
一番嬉しかったのは、やはり、私
祖父母の顔も知らず、父も小学校4年の時に死に叔父さん達も戦争で死に
短命の家族のイメージが消えず、母一人が苦労した
私が結婚してとき、一番喜んでくれたのは母だった
妻の家族は皆長生きで80、90はあたりまえの一族ということを知ったときの
母の喜び様は大変なものだった
「良かった、長生きの血が我が家にも来た、大切にしなければ」と
戦争さえなければ、オヤジだって生きていたに違いない
二人の叔父さんだって戦死しなければ祝ってくれたはずだ
我が家の短命は、自分のせいではない、戦争のせいだと
自分に言い聞かせ、父の死んだ歳を越えもう54歳
とりあえずは、リベンジを果たした
さらに、長男の結婚も出来た。
京都の祖父母、娘夫婦(私達と、妹夫婦、弟夫婦)長男夫婦と三代健康で一堂に会したのだ
もうすぐ、私の孫が出来て四代勢ぞろいも間もないだろう
やったね、自分を誉めてあげたい
そんな気持ちで披露宴に臨んだ為、少々はしゃぎすぎてしまったようだ
ロータリーの仲間は「オヤジが金を出すんだから、好きにさせればいいさ」と
寛大なところを見せてくれた
息子夫婦も、そんな父親の感慨を受け止めてくれ、
好きにやらせてくれてありがとうと言いたい
      
ハワイアンバンド(結成35年以上)で歌を歌ってしまった新郎の父!!   それを、嫌がらず許してくれた新郎新婦あんた達はエライ!            

夜は、鷺の湯の部屋を借りて、京都の祖父母の金婚式と喜寿の祝いと
われら夫婦の結婚記念祝(5月26日)い、その他の誕生祝いなど、一度に祝宴をしてしまった
息子達夫婦の思いは、父母の結婚記念日(5月26日)と同じ日に結婚式を挙げたいとの意向
だったのだが、鷺の湯が空いていなかったため25日となった
メモリアルとは、いろいろな事が重なり何時間語っても語り尽くせない
いつでも、思い出し色あせないように持ち続けたい


2002.5.17
コオリナでゴルフ
その他の若者(自称)達は私の勧めでダイアモンドヘッドへ登る

2002.5.18
スキューバーダイビングの日
土曜日のため海洋公園近くでもぐる
これも一つの目的
夜は、中華料理店にてサヨナラパーティ

2002.5.19
帰国の日
日本につけば20日の午後
次は、25日の披露宴
準備がいっぱい



2002.5.15

長男の結婚式のためハワイへ出発
午後二時にバスにて茅野出発
成田よりNWで・・・・・・
時差により頭がぼんやりして市内観光も眠い
2時頃シェラトンワイキキへチェックイン
息子達は隣のハレクラニへ!!!一足先の飛行機で
ここまでくれば、もう仕事のことなんか吹っ飛びハワイモードへ
16日に結婚式
憧れのコオリナチャペルで・・・・
ワイキキのサーフライダーのチップスターバンレストランでパーティー
父達は明日、ここのゴルフ場でバーディーをやってしまった・・・・
すばらしい挙式
海と・青い空・ハワイアンウェディングソングと18人の出席者
総勢20名

     


  


  



2002.5.13

15日から、6日間留守をするため目が回るように忙しい
コレステロールを下げるために菜食主義を2ヶ月間貫き通してきたが
どうも、自分でも元気が出ないような気がする
草食動物と、肉食動物の違いは歴然としている
中国の日本総領事館の事件を見ていると
あのひ弱そうな日本人が帽子を拾い集めている姿を見ると
怖がっているとしか思えない
闘争心というものが感じられない
外務省の経験不足のエリートを塀の中へ送り込んでも役にはたたない
K1・レスラー・やくざなどの百戦錬磨のつわもの達を送りこまねば
日本は、のっとられてしまう
マスコミの、どうでもいいような解説者達が
中国の、まず悪そちらにあり、を忘れて
許可したとか、そうとしか見えないとか・・・・
誰の味方なんだ!!
もっと、中国側の対応の悪をたたけよな、といいたい
ああ!!情けない
いつから、強いものには巻かれろの日本人になってしまったのだ
などと思いつつ、二日酔いのさめた気持ちよさの頭で憤慨している



2002.5.12(日)    天気良し

昨夜の焼酎の飲み方ときたら異常である
グラスに焼酎八分、ウーロン茶二分
四人で、結局5本の焼酎を飲み、意識朦朧として
25日の息子の結婚披露宴でのバンド演奏の練習に行くも
一時間ともたず、気が付けば片付けが終わったフロア−でほとんど意識無し
帰は送ってもらって帰る

そんなわけで、肝臓の機能が低下している自分には
当然、二日酔いが待っていた
9時30分まで起きれず、この物持ちのよさだけはご免こうむりたいといつも思うのに
勢いで、こうなってしまう。


息子は、バスケットの試合で飯田
娘は、友達とお出かけ
鷺の湯で打ち合わせ
コーヒーを出していただき飲むと気持ちが悪くなってしまった
二日酔いにコーヒーは合わない

夜は、定例のダンス練習日、死んでた・・・・・・・!!!!!!!!!




2002.5.11

最悪の日・・・二日酔いになってしまった夜
ノーコメント・・・昨日良くても今日はだめ・・・あすなろ会




2002.5.10   天気小雨曇り小雨夕方より雨本降り

チェルトの森ゴルフ場にて協力業者のゴルフコンペ
雨を心配したが、ぱらぱら程度の雨で、大助かり
とりあえず、二桁で回り、10位入賞
最近、飛び賞さえあたらないほどの、運の悪さと、ゴルフの不出来に落ち込んでいたのだけれど
何とかこれで、運が向いてきたような気もする
あとは、アイアンがよければ・・・・・・

4時に会社へ帰り、仕事をする



2002.5.9     天気晴れ

昨日は、鞭打ち持ちの自分には大変つらい一日だった
高山病に近い頭の痛さが続き、持病で治らないことはわかっているのだが、きつい。
予防策として常に首の両側の筋を伸ばし緩め偏ったこり方をさせないこと
次に、手枕等で首を支えると5分後には、ずれて首が回らなくなる(金で回らない上に・・・・・)
膝枕などは、もってのほかである
できれば、旅行には自分の枕を持っていきたいが、みっともないから持っては行かないが
タオルケットとかセーターとかを使い自分の首に合った枕?を創り眠るようにしている
鞭打ち症状も、2段階あり、軽いときは自分で3日くらいで治せるようになったが
重症のときは、自分でも無理と感じ、すぐ、脊椎矯正で直してもらうようにしている
本当は、ゴルフが一番いけないのだ
テレビを見るときも、映画を見るときも、宴会のときもほとんど正座状態
社交ダンスはその体のバランスを保ち鞭打ちをでにくくするためには最適だ
それと、温泉で体をほぐし、こった首肩をやわらかくすると、ほとんど鞭打ち症状が出ずに暮らせる
今日は、昨日よりだいぶいい



2002.5.8

雨の予定を組んでいたのに、朝から雨無し
晴天になってしまった
半分の予定を組替える、事務所の中はごった返し

ピラタスへ見積りに行くとそこは雨。
えらい違いだ
急に予定を変更するといくつかのミスが発生する
まず、雨で行く予定だったのに、いかなくなったと思っていて、施主に連絡をしていなかったら
なんと、仕事に行っていて、施主から喜ばれたようなしかられたような、・・・・

まあとにかく、忙しい一日だった



2002.5.7    天気結局雨

火曜日、朝からぽつぽつと雨が降り始めてきた
昨日までの好天の時に仕事を進めておいてよかった
やはり、我々塗装業者は晴耕雨読の精神をしっかり持たねば
この厳しい経済の中を乗り切ってはいけない

雨!さあ、屋根洗い。
明日も降ると、ちょっと困る
雨仕事を急いで手配する
よくしたもんで、全員の行く先が決まり、ほっとする



2002.5.6    天気晴れ

別荘4件見積

4時よりバスケットのゴールを造る
豪と二人で約二時間、3代(台)目ともなると完璧に近い仕事だ

明日から連休明けで又忙しくなる
さ〜て、縄文の湯で一汗流しご帰還とするか

サンプルビデオの「シュレック」「スパイゲーム」を見よう

久しぶりに、ボールフォーラス(ハンガリーの皇帝の愛した赤ワイン)でも飲みながら
2002.5.5    天気晴れ

子供の日
我が家の今年のゴールデンウィークは
父:仕事
母:嫁のハワイでの衣装作成
娘;雑用
息子:選抜練習のため毎日バスケット
まあ、15日から20日まで息子(長男)のハワイでの挙式に
全員参加だから連休無しは当然だ

二年前の、群馬のお客さんが蓼科の別荘に来ているのだが
相談したいことがあるとのことで、午前中行き会う
ベランダを直したいとのこと
マルタ島旅行の話を聞き面白かった
「コレ−リー大尉のマンドリン」この映画は、ニコラスケージが主役で出ているのだが
シシリー島を舞台にきれいな映画だったのだが、それを思い出しマルタ島の話にも
つい熱が入り時間を超過してしまった

ゴールデンウィーク中は、別荘に来ている人たちが電話をくれるため、転送にしてある
コンビニシールペイント年中無休・・・・・

原村の別荘の人が、ベランダに塗っていた塗料が終わってしまったので分けてくれとのこと
ちょうど、同じものがあったので分けてあげる。喜ばれた

先日、借りたCD5枚をCD-Rにコピーする
お礼に、ワインをつけて返す

サンプルビオを一本見てから、無尽の最終回へ出向く
相変わらず、おいしくないすし屋だ
気に入らないこと、その1
ねじり鉢巻のオヤジが汚い前掛けのすそで手を拭きながらくわえタバコで「今日は忙しくて、お客を一時間も待たせた」と、得意げに話をしていること。あの手でまさか鮨を握っているなんて・・・・絶句
その2
店主・店員がお客に対し馴れ合いになっている、口の利き方が・・・・いや!
お客が店主になれて言葉を交わすのは良いが、その反対はうるさい!
その3
すし屋のてんぷらにあんなでかいえびのてんぷらを出すな、口に入らん
コシアブラ(アブラコシ?)のてんぷらは、葉っぱを開いて揚げろよな

次回の無尽からは店を変更

映画「スターウォーズ」を見ながら、ホットミルクでご就寝・・・・・・・ZZZZZZZZZZZZ
2002.5.3    天気晴れ

憲法記念日だそうだ

午前中、工場の塗り床に立会い
11時より上諏訪の南湖荘で結婚式披露宴があり
バンド演奏をする
新郎新婦は60歳前後
息子さんの、若々しくかわいい社交ダンスの演技がすばらしかった
さすがに、学生時代に練習している若者はすごい
久しぶりに、いいものを見せてもらった

バンドも、披露宴の合間合間に演奏し都合20曲以上演奏した
片付け後、てんほうで食事

立木君の家に行く前に、青木さんの家の前を通ると
ご主人が庭の手入れをしていたのでつい一緒にコーヒーをご馳走になる
話が弾み、息子の結婚式に青木さんのドイツで用立てしたタキシードを着せてもらうこととなる
ついでに女房まで呼んでドレスなどの試着会となる
キューバ音楽の「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」のCDを5枚借りてくる

立木宅へ少し遅れて到着
昔話に花が咲く

長い一日だった


2002.5.4

車庫のシャッターを壊す
簡単に取れると思ったが大間違い
電気サンダーを使い最終的にはばらばらにして撤去

豪のバスケット練習用のゴールもこれで使い良くなる
その前に、青木へ行きスーツを買う

夜は、サンプルビデオを見て仕入れの検討をする
2002.5.2    天気晴れ

茅野市、現説 青少年自然の森管理棟塗替え工事  泉野小学校プール塗替え

午後3時より、粟沢観音八十八夜のお祭りへ行く
小泉団地の粟沢観音のすぐ裏に住んで早や25年、
今年も一年で一番賑やかな日がやってきた
母の実家が、粟沢観音の石段118段を降りた筋向いにあるため
物心つく頃よりこの八十八夜のお祭りの時が友達に自分を誇れる時だったような気がする

粟沢の、母に実家へ行くと親戚皆が集まりお酒を飲み、おいしいご馳走を食べ
皆と行き会えることがどれだけ楽しいレジャーだったか知れない
屋台がいっぱい出て、朝から、朝顔形のスピーカーから三橋美智也とかの音楽が流れ
もう、興奮状態だった。母も、一昨年他界し、妹のおばさんも昨年、その妹のつれ合いのおじさんも
昨年亡くなり、母の弟の叔父さんもちょっと元気がなくなり、八十八夜のお祭りに
皆が、集うこともなくなってしまった
でも、生まれてからこのお祭りにどっぷり浸かっていた自分の中には
たぶん、おじさんおばさんの八十八夜に対する思いが染み込んでいると思う
だから、いつの日か、自分の家に皆を招きおまつりをしたいと思うようになった

今日は、社務所に呼ばれ
お酒と料理で盛り上がった末に
娘まで呼び込んで大宴会をしてしまった
毎年来ていると粟沢の人たちとずいぶん仲良しになっていしまった

一休みしたあと、ダンスサークルで汗を流す
2002.5.1    天気晴れ

今日から5月、なんて言うあたりまえの出だしではなくて、しゃれた文句のひとつも出ないのか!
そういえば、メーデーなんて言う集会もあったような気がするが、いつから、見られなくなったのだろう
今をさかのぼること、35年前の学生運動まっさかりの頃は、デモにも参加した記憶がある
民主青年同盟・赤軍派・ノンポリ・日和見・総括・つるし上げ・独占資本主義・マルクス・レーニン・エンゲルス
などなど、皆、燃えていた!皆が豊になった錯覚で、牙を抜かれ学生はおとなしくなってしまった
本当は、戦争直後親達が必死になって働いた蓄積の上にのほほんと、豊になった錯覚を抱き生活をしてしまった
今の、衰退はそこにある。政治家が一生懸命経済の立て直しを計ろうとしても、所詮経済は生き物であり人間の力で変えるのは難しい。政治家はそれを知っていながら、ジェスチャーだけ・・・。口先総理大臣に、女狂いの幹事長、
角福戦争の敵を今取ろうとして、ほくそえむ「むふっ」のおじさん、病み上がりのポマード頭、ギョロメの野党、どうにもならない民社党、・・・・いったい誰が日本を導くのだ!!!!税金泥棒たちよ、しっかり頼むぜ!!!
そう言えば、宗男君もじきにお縄だそうで、貧乏くじを引いたわな。建築関連はあたりまえのことなのに。宗男君よモット徹底的に暴露して刑務所の中で刺客に狙われるくらいの大物になってみなよ!
私の名前は、宗義、宗という高貴な漢字を戴きながら、汚しやがって許せん、今日も銀行の支店長に名前をもじらえて、笑って済ませたが、なんでそうなるの!と腹が立つ。
戦後の教育のおかげで、民主主義の真の意味を理解しないため、皆平等だ〜〜〜〜ということになってしまった
ヨーロッパが豊で休みも多いのはなぜだ?ものの豊かさではない心の豊かさに移行しているからだ。さらに、石造りの家に住み古い家具を大事にする習慣が違う、日本の古い家屋は100年でももっと持ちこたえるのに、その家の工法を止めてプレハブだ・ツーバイだなどと、ただ、住宅ローンが増えるだけ。住宅ローンがなければ結構人間金を使えるもんだ。
古い家を、大事に、大切に修繕し改修工事をしながら次世代に借金を残さないようにする。そして、子供達に、その古い家を大事にする事をよく教える、また、その家に合った生活をする、人のまねをせず個性のある生き方をすれば、どんな家に住もうと心豊に生活できるのだ。
物にこだわる時代は終わったことに、早く気づくべきだ。

2002年5月の独り言

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